私の人生を変えてくれたバレエ
ご訪問くださりありがとうございます。ここでは、バレエとの出会いが私の人生をどのように変えてくれたのかについて、書いていきます。
バレエとの出会いは40数年前。「赤い靴」というドラマから始まった
私とクラシックバレエの最初の出会いは、小学2年生の時、テレビで放映された「赤い靴」というドラマを見たことが始まりでした。
「赤い靴」は、主人公がプロのバレリーナになっていく過程を描いた物語だったのですが、主人公を演じていたのが当時の本物のバレリーナである「ゆうきみほ」さんだったことや、実在しているバレエ団が撮影に協力していたことで、バレエを踊るシーンがとても素晴らしかったのです。
華やかな舞台衣装をまとい、トウシューズを履いて軽やかに踊る姿に、毎回心躍らせながら見入ったものでした。
そして、憧れるだけでなく実際に自分でも踊りたくなって「バレエを習いたい」と親に懇願したのですが、家庭の経済的な事情で許可が出ませんでした。40年以上前のことで、クラシックバレエは今以上にお金のかかる習い事でしたので、ごく普通の家庭にはハードルが高かったんですね。
本気で習いたかったので、とても悔しい思いをしたことは、今でもよく覚えています。
しかし、自分で習うことはかなわなくても、クラシックバレエが好きなことに変わりありませんでした。ですから「いつかチャンスがあったらバレエを習いたい!」と、それからずっと思い続けていました。
しかし、何年たってもそのチャンスが来ないまま、気づけば30数年という月日が流れ、私は40歳を超えていました(長い…)。
忘れたころにやってきた「バレエ」を習うチャンス
ところが、もうないだろうと思われたその「バレエを習うチャンス」は、思いがけないところから突然にやってきました。
13年前のある日、何気なく見ていた地域の情報誌に、近くの公民館で、「大人向けのクラシックバレエの無料講座」が開かれることが載っているのを発見したのです。
これは夢なのか…と思いました。その時まで、私の住んでる地域には、大人のバレエ教室はなかったからです。
食い入るように詳細を確認すると、申込期限のぎりぎり3日前でした。大慌てで電話をかけ、講座を受けたいことを伝えると「すでに募集人数を10人以上オーバーしているので、抽選になるのですが…」という返事が返ってきました。
それでも、私がツイていたというか、ラッキーだったのは、受付が先着順ではなかったことです。そのまま申し込みを済ませ「当たるといいなぁ」と思いながら、当落の連絡をまちました。
その時のことを正直に言うと、「申し込みが多い」といわれた時点で期待はしていませんでした。一人二人ならいざ知らず、「10人以上」でしたから。
しかし、ここで1つ目の「ラッキーが起こる」のです。
「抽選でなく、全員が受講できることになりました」というラッキー
私が申し込みをしてから一週間がたったころ、一通の封書が届きました。抽選の連絡かなと思って、急いで封を切って中身をあらためると、そこには「講座受講のご案内」という文字が!!。
「あたった~!!」
私が小躍りして喜んだことは言うまでもありません。ほんとに嬉しくて、わくわくしながら講座の開始の日を待ちました。
そして、講座の初日。念願のバレエを習える喜びと、どんなことが始まるのかという不安とで、かなり緊張して会場になった公民館の門をくぐったのでした。
公民館の受付で名前を言うと、レッスンの場所である大きな部屋に案内されました。ドアを開けると、そこは想像していた以上の数の女性でごった返していました。30人はいたでしょうか。
「こんなにバレエを習いたいと思う大人がいるんだ…」と、ちょっとびっくりしたのを覚えています。ほとんどの人が友達と誘い合わせて申し込んだようで、楽しそうにおしゃべりしていましたが、1人だった私は、場違いのような感じがして、隅の目立たない方で待っていました。
そうこうするうちに講座開始の時間になり、公民館の館長さんと講師の先生方が入ってきました。この中の一人がR先生でした。
次に、館長さんの挨拶が始まり「今回のクラッシックバレエ講座は、募集人数より遥に多い応募があったので抽選の予定だったのですが、主催のバレエ教室のご厚意で、申し込まれた全員が受講できることになりました。」と、おっしゃられたのです。
受付期間が終わって「応募が多いから抽選で決めます。」という話をした館長さんに、バレエ教室側から「せっかく申し込んでくれたのだから、全員に受講していただきたい」という申し出があって、最終的に抽選はせず、全員の受講を承諾したのだそうです。
これが一つ目の「ラッキー」でした。「バレエが習いたかった」諦めの悪い私に、神様がくれたものだと13年たった今でも思っています。
一人、また一人と減っていく受講生
しかし、抽選がなかったために、最初の何回かはものすごい混雑でした。
レッスンの場所になった部屋は決して狭くなかったのですが、とにかく人数が多かったので、それこそイモ洗い状態。バーレッスンが始まると、前後のスペースが十分にとれず、手足を伸ばすのも大変でした。
しかし、全部で8回予定だった講習は、回数を重ねるうちにみるみる人数が減っていきました。クラッシックバレエのレッスンは、はたで見ている以上に難しかったのです。軽い気持ちで講習を受け始めたものの、想定外のきつさに憧れだけではついていけなくなり、一人、また一人と講習の終了を待たずに来なくなりました。
私自身も、その厳しさを感じていました。ずっと習いたかったバレエでしたが、立ち方ひとつをとっても思うように動かない自分の身体が、ほんとに嫌でたまりませんでした。
でも、せっかく講習を受けているのですから、途中で投げ出すのはやめよう、とりあえず最後まで頑張ろうと思い直しました。(実はこの無料講習で何を教わったのか、今、ほとんど思い出すことが出来ません。毎回毎回、先生のデモを必死になって覚えていたはずなのに、覚えていないのです。どうしてなんでしょうね…)
思わぬ変化が訪れたのは、次々と脱落していく講習生を横目にみながら、それでも一日も休むことなく講習を受け、とうとう最終回まであと一回となった時のことです。
「10年前じゃなくて、今だから(バレエを習う)チャンスが来たのよ。」諦めようとした私に先生が言ったこと
その日のバーレッスンが終わり、バーを片付けながら、一か月半レッスンを受けても相変わらず、自由に動かない自分の身体に腹が立って「あと10年早かったらもっと体が動いたかなぁ。悔しいなぁ」と、私は小さくつぶやきました。
誰にも聞こえないように言ったつもりだったのですが、私の後ろにいたR先生の耳には届いていたのです。
その日の全部のレッスンが終わって、着替えて出ようとした時、R先生(この時はまだ名前を知らなかったのですが)が私を呼び止めました。
「さっき、10年早かったら…って言ってたけど」という先生に、私は「はい。子供のころからずっとバレエが習いたくていたのですけど、チャンスがなくて。なので、今回バレエを習うチャンスをいただいて嬉しかったんですけど、あまりにも動けないんで悔しくて。もう少し若かったら、体ももっと動いたかなぁって思ったんです。」と答えました。
「もう10年若かったら良かったかなぁ。」と、言葉を続ける私に、先生は意外なことを言ったのです。
「10年前じゃなくて、今だから(バレエを習う)チャンスが来たのよ。」
これが、私とR先生との出会いでした。
「今だから」という先生の言葉を聞いて、目からうろこが落ちた気がしました。
ずっとバレエが習いたいと思い続けてきた私に、諦めなかったから今チャンスが来たのだと、先生は言いたかったのでしょう。その日はそこで会話が終わりましたが、それから次の週の最後のレッスンまでずっと、先生の一言は私の心に刺さっていました。
「続けてみなさい。」迷う私の背中を押してくれたR先生
そして、とうとう講習最終日。当初、イモ洗いのようにフロアにあふれていた講習生は、今や3分の2、否もっと少なくなっていました。ガラガラになったバーレッスンは、少し寂しい感じがしました。
「最後だから、すこし踊りらしくしてみましょうか」と先生がおっしゃり、残った講習生全員で輪になって、ちょっとだけ舞台の様な振り付けを踊りました。その後、講習修了の挨拶と有料教室への案内があって、1か月半の無料講習は終わりました。
私はこの時、有料教室に移行するかどうか、まだ迷っていました。クラッシックバレエにずっとあこがれていたものの、今回1か月半習ってみて、想像以上に難しかったからです。続けたい気持ちはありました。でも、あまりにも自分の身体が動かなかったので、続けていけるかどうか自信がなくなってしまったのです。
ところが、着替えを終えて、先生方にお礼を言って帰ろうとした時、それは起こりました。
前回、私に「10年前じゃなくて、今だから(バレエを習う)チャンスが来たのよ。」と言ってくださったR先生が私に近づいてきて、もう一度おっしゃいました。「今だから(バレエが)習えるようになったのよ。」「今が習い時なのよ。やっと待っていたチャンスが来たのよ。続けてみなさい。」
その言葉で、私の気持ちは決まりました。「頑張って続けてみよう!」と。結果、その日に有料教室の入会届を書いて出し、私は本格的にバレエを習い始めることになったのです。
私の人生を変えてくれたR先生
それから紆余曲折を繰り返しながら13年が経ちました。しかし、あの日、あの時の光景は、今でも鮮やかに覚えていて、ついさっきのことのように思い出せます。
あの時、私の独り言にR先生が気づかなかったら、そのあと声をかけてくださらなかったら、最終日にもう一度誘ってくださらなかったら、その後、バレエウェアを有料で作ることを勧めてくださらなかったら…。
どのピースの一つが欠けても、今の私はありませんでした。あの瞬間から、私の人生は変わったのです。R先生その人が、私の人生を、そして運命を変えてくれたのです。
昨年春、旅立たれる寸前、本当に最後の最後まで、私に「バレエ続けてね」と繰り返しておられたR先生。先生の踊れなかった分まで…とはいきませんが、まだしばらくは頑張るつもりです。
なにせ、私の大いなる野望、次の目標は「トウシューズでの舞台デビュー」なので(;^_^A。でも、これを口に出したら「100年早い!」って声が飛んでくると思います(苦笑)。