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私がバレエウェアを作る理由 4 来年の発表会で会えることを誓って

2018/10/02
 
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クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

私のサイトへようこそ! バレエウェアコーディネーター、結月ななです。

初めての方、宜しくお願いします。続けて読んでくださっている方、有難うございます(o^―^o)ニコ。

前回の私がバレエウェアを作る理由 3 では、私がバレエを辞めようとしたこと、その時にR先生からメールが届いて「バレエ続けてね。絶対ですよ。」という一文があり、先生はまだ、復帰をあきらめていないんだと気が付いて、前言撤回して頑張ろうと考え直したことを書きました。

私の送ったメールにR先生から返信があったのは、前回から1年後、その年の舞台が終わった翌日のことでした。

そのメールで、「実は私、がん治療中なのです。」「一番厄介なのが背中にあって、放射線とホルモン療法で治療しています。」という、衝撃的な事実が判明したのでした…。

というところまで書きました。その続きです。

先生が病名を明かさなかった理由

「がん治療中なのです。」「一番厄介なのが背中にあって、放射線とホルモン療法で治療しています。」

この一文を読んだ時、ものすごくショックを受けました。先生は常日頃、自分の健康と体調には、とても気を配っている人だったからです。

多忙な毎日を過ごされていましたが、元気でバレエを踊るために、食生活はきちんと管理していましたし、子供たちよりパワフルでしたから。そんな先生の体に、がんが巣くっているなんて、想定外のことでした。

偶然ですが、当時私は総合病院に勤務していました。仕事の性格上、詳しい内容は伏せますが、一つの部署ではなくあちこちを移動する業務でしたので、様々な病気の患者さんに接する機会をとても多くもっていました。(ちなみに看護師ではありません)。

がんの患者さんも例外ではありません。5年近くにわたって、様々な病気に罹患した、たくさんの人の生死を見てきました。

そのため、「門前の小僧、習わぬ経を読む」のことわざ通り、勤務期間が長くなるにつれ、かなり広範囲にわたる病気の詳しい病状や治療内容について、誰に教えてもらうことなく、かなり専門的な内容を理解していました。

ですから、「がんの治療中」で「一番厄介なのが背中(背骨)にあって、放射線とホルモン療法で治療しています。」という文章で、どの臓器のがんかは解らないけれど、初期段階ではないということだけは即、わかったのです。

早い段階で見つかったがんなら、たいていの場合、放射線治療はファーストチョイスではありません。手術で切除して、がんの病巣本体を取り除くことが、最優先の治療になるからです(これはあくまでも一般論です。人によって選択肢は異なります)。

R先生が、私たちに詳しい病名や病状を伝えなかった理由は、完治の見込みが立たないからだったのだと、改めて理解したのでした。

先生は「ステージⅣ 末期のがん」だった

先生の病状、「病巣が背中(背骨)にある」「放射線とホルモン療法の選択」ということは、がんが発見された最初の段階で、かなり進行した状態だったということになります。

いきなり最初から、背中(背骨)にがんができることは、そんなに多くありません。

ですからこの場合、がんが最初に出来た場所だけでなく他の場所にもある(遠隔転移と言います)という、ステージⅣと呼ばれる段階だと考えられました。

シビアな言い方をすれば「末期状態のがん」です。

R先生が、いつレッスンに復帰できるかわからないと知った時から、簡単に治る病気ではないということは理解していましたが、ここまで重篤な状態だとは思いもしませんでした。

改めて、お休みになる前の、とてもお元気だった時の顔が思い出されて、涙がこぼれてきました。

もう少し早く、病院を受診していれば…

今回、ここまで病気が進んでいたということは、おそらく先生自身、少し前から多少なりとも身体に違和感を感じていたのではないかと思います。

しかし、R先生はとても責任感の強い方でしたから、身体の具合が悪くても、お休みすることが出来なかったのでしょう。

大人クラスのバレエだけでなく、子供クラスも指導しておられましたから、「自分が休むと他の方に迷惑をかけてしまう」と考えていたのかもしれません。

しかも「バレエ教師」だけではなく、他に仕事をお持ちでしたし、ご主人もお子さんもお持ちの1主婦でもありました。そのすべてをお一人でこなされていたこと、今もとても尊敬しています。

そんなご多忙な毎日を過ごしていらしたので、不調を感じつつも「きっと大したことはないから大丈夫!」と自分に言い聞かせて、ぎりぎりまで病院を受診するのを我慢していらしたのではないでしょうか。実際の自分の体の状態を知った時の、先生のショックの大きさを思うと、胸が痛くなりました。

先生は、ほんとにバレエが大好きで、いつも「多少体調がよくなくても、バレエのレッスン受けると元気になるのよね。バレエっていいわよ。」と笑顔でおっしゃっていたのに。

今さらながら、もう少し早く病院を受診していれば、もっと初期段階で病気が見つかっていれば…と思わずにはいられませんでした。

来年の発表会で会えることを誓って

しかし、メールはそのあとに「明るく前向きに治療を頑張っていますよ。来年の発表会で会えることを誓って」と書かれていました。

それを読んで、「やっぱり先生はまだ、全然あきらめていないんだ」と、なんだか嬉しくなりました。

来年はいつもの年と違う時期に、大きな規模の発表会が行われる予定になっていたのです。

そのことは、体調を崩す前から決まっていたので、先生もご存知でした。記念の舞台でしたから、出演をとても楽しみにしておられました。

もし、何事もなくお元気でいらしたなら、今頃は発表会に向けての振付やレッスンスケジュールの細かい打ち合わせ、生徒への指導で、忙しくも充実した日々を送っていたことでしょう。

物覚えの悪い私はきっと、先生に人一倍おしりをたたかれていたに違いありません(苦笑)。

改めて今、ここに先生がいないこと、一緒にその時間を過ごせないことが、とてもとても寂しく感じられました。

しかし、ステージⅣのがんとして発見されても、治る場合もあります。完治とはならなくても、効く薬に巡り合って、病気とうまく付き合いながら長生きする人もいます。

「明るく前向きに」頑張っていらっしゃるR先生なら、きっと大丈夫。必ず治療がうまくいって、体調がよくなってきたら、せっかく楽しみにしていた記念の舞台だから、ちょっとでも出られたらいいなと希望がもてたのです。

そして、「レッスンとまではいかなくても、先生が稽古場に出てこられるようになったら、お祝いに新しいレッスンウェア一式を贈ろう!」と、先生がお好きな色の布地がストックにあるのを思い出して、久しぶりに楽しい気分になりました。

数年ぶりにやっと、ミシンが掛けたいなと思う気持ちが戻ってきたのです。すこし、迷路の出口が見えた気がしました。

新年が明けると、教室は一気に発表会モードに突入しました。レッスンの回数が一気に増加し、あわただしく時が過ぎていきました。

このあと、発表会までの数カ月、さまざまな山あり谷ありの日々が私を待っていました。

私がバレエウェアを作る理由 5 に続きます。

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クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

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