私がバレエウェアを作る理由 5 再会 涙
私のサイトへようこそ! バレエウェアコーディネーター、結月ななです。
はじめての方、宜しくお願いします。続けて読んでくださっている方、ありがとうございます。ペコリ(o_ _)o))
私がバレエウェアを作る理由 4では、一年ぶりに先生から届いたメールで、先生の病が「がん」で、すでにステージⅣの末期状態だと判明したこと、年度末の文化祭には間に合わなかったけれど、「明るく前向きに治療を頑張っていますよ。来年の発表会で会えることを誓って」と書かれていたところまでお話しました。
それを読んで、「やっぱり先生はまだ、全然あきらめていないんだ」と、なんだか嬉しくなって、「レッスンとまではいかなくても、先生が稽古場に出てこられるようになったら、お祝いに新しいレッスンウェア一式を贈ろうかな」と考え、ずっと触ることもできないでいたけれど、「久しぶりにミシンが掛けたいな」と思う気持ちが戻ってきたというところまでを書きました。
今回はそこから先の話です。
記念の舞台まで、休みなしで駆け抜けた8カ月
新年が始まるとすぐ、教室は発表会に向かって大忙しになりました。
普段、毎年行われている舞台と違って、今回は「発表会」だったので、一人当たりが踊る演目は一番少ない人で3つ、多い人は7つくらい割り当てられたのです。私は、オープニングとエンディングを含めると、5つでした。普段の舞台では、2つ以上にはならなかったので、まず振付を覚えることがとても大変でした。
2年ぶりに、R先生に私の踊りを見てもらうことになるので、少しでも上手になったのを見せたくて、必死になって練習しました。割り当てられたレッスン日には一日も休まずに出席し、年明けから夏場の発表会までの約8カ月、練習を繰り返すことで、踊りを体に染み込ませていきました。
しかしこの年、諸事情から新しい仕事に変わったばかりだったので、新しい業務を覚えるのと振付を覚えるのと二つが重なってしまい、かなり苦戦することになったのです。が、幸いなことに、休日が土日に固定されたのと、仕事の終わりが早くなったおかげで、レッスンや舞台稽古が夕方の時間帯になっても休まずに済みました。これは、人一倍物覚えの悪い私にとって、とても有り難いことでした。
明日、行くからね。会えるのが楽しみです。
本番が近づくにつれて、休日のほとんど、そして祝祭日も、そのほぼ全部がレッスン日となり、あわただしく時間は過ぎていきました。
長いと思われた8カ月はあっという間に過ぎ、とうとう明日は本番というところまでこぎつけました。前日は、最終の舞台稽古があり、午後から会場に入って、振付のチェックをすべて終えて、帰途についた時は夜の8時を回っていました。
最後の最後まで、若い本部の先生方にどやされながらの練習だったので、精神的にも身体的にも疲れがピークに達していましたから、そのすべてが明日で全部終わると思うと、寂しいというよりホッとしていました。
お仲間さんと別れて、車に乗り込んだ時、突然携帯が震えました。もしかしたら…と、急いで画面を見ると、やはり、R先生からのメールでした。
そこには、「明日、子供たちのメイクのお手伝いもかねて見に行きます。みんなに会えるのが楽しみです」そう書かれていました。
「やっと先生に会える、今度こそ本当に会えるんだ」と思うと、明日の舞台の緊張より、再会の嬉しさの方が上回って、帰りの車は、とてもワクワクしながらの運転だったのを、今でもよく覚えています。
「明日、絶対にいい踊りするぞ!」
その日の夜は、自分に気合を入れて、早めに眠りにつきました。
「大人のメイクは自分で!」想定外の指示に大騒ぎの楽屋!!
翌日、発表会当日は、見事に晴れ上がった暑い日でした。
本番は午後からなのですが、その前の準備に時間がかかるので、当日はかなり早い時間から会場に入ります。メイクや着替えは楽屋入りしてからになるので、普段着のまま髪だけシニヨンに結い、集合時間すこし前に会場につきました。
楽屋に入って間もなく、まず最初にメイクにとりかかります。顔だけでなく、上半身ほぼ全部にファンデーションを塗らなくてはいけないので、時間がかかるのです。
一番大事な顔のメイクは、毎回の舞台には専門のメイクさんが来てくれていたので、下塗りだけをして、あとの仕上げはお願いしていました。今回もそのつもりでした。
しかし、当日朝、楽屋に入るなり、いきなりY先生から「大人のメイクは自分で!」と、想定外のことを言われてしまったので、おばさん軍団は大慌て!!。みんなバタバタで、キャーキャー言いながら、必死で自分の顔を作りました。
何はともあれメイクが出来あがり、全演目の最後の最後の確認が終わって、午前中最後の予定の集合写真撮影…となったそのとき、舞台袖の緞帳の横にいる懐かしい顔が、私の目の端に飛び込んできました。
R先生でした。
やっと会えた! 涙で流れ落ちた舞台メイク
もう、すぐにでも走って駆け寄りたかったけど、撮影が終わるまでは…と必死に我慢しました。
やっと撮影が終わった時、先生はさっきの場所にはいませんでした。大急ぎで舞台袖にもどって捜すと、先生は控室の前にいらして、にこにこと私の方を見ていました。すこしお痩せになっていたけど、2年前と変わらない笑顔の先生が、そこにいました。
「先生…」
何か言おうとする前に、みるみる涙があふれて視界が曇りました。(ダメだ…今泣いたら、メイクが全部ダメになる…。)そう解っているのですが、どうにも涙が止まりません。
苦労して引いたアイラインも、マスカラも、あっという間に涙で流れ落ちました。
人前にもかかわらず臆面もなくボロボロ涙をこぼす私に、先生は優しく微笑みながら「がんばれ!!」と、声をかけてくださいました。言いたいことはたくさんあるのに、話したいことはたくさんあるのに、涙で何一つ言葉が出てこず、私はただ、うなづくだけでした。
その直後、先生を見つけた生徒みんなが、あっという間に先生を2重3重に囲みました。口々に声を掛けられる中、先生も久しぶりに生徒やお仲間さんにあえて、とても楽しそうでした。
取り返しのつかない伝達ミス!
そんな中、R先生が意外なことを口にされました。
「待ってたのに誰も来なかったのね」
「え?何のこと?」と思いましたが、詳しい話を聞いて、驚きました。
R先生は、子供のメイクをし終えた後、私たちおばさん軍団がメイクをお願いに来るものと思って、控室から移動せずにずっと待っていてくれたのだそうです。
しかし、私たちは誰一人として、大人メイクもお願いできることを知らされていなかったので、先生のもとに行かなかったのです。
完全な伝達ミスでした。
そのことを先生自身から知らされて、みんなしてものすごく悔しがりました。しかし、どんなに悔しがっても、もう取り返しのつかない、後の祭りでした。
発表会前の準備の混乱の中でのことですから、誰も責めることはできませんが、今になって思い返しても、この時、先生にメイクをお願い出来ていたら、もっとお話しできたことがあったろうなぁと、残念でならないのです。先生の口ぶりから、何か話したかったことあったであろうことを感じましたから。
その時、先生が私に話したかったことが何だったのか、聞けないでしまったことが今でも大きな心残りです。
幕切れに残ったのは、寂しさと疲労
それから2時間後。舞台は幕を開けました。全3幕3時間の長丁場です。
自分の順番まではとても長く感じましたが、いざ、舞台に飛び出してしまうと、あっという間でした。とにかく、無我夢中で踊りました。私なりに精一杯の踊りでした。
でも…
出来る限りの練習を重ねていたにもかかわらず、直前の確認でさえ、自分の踊りに納得がいかない部分があったので、結果的には、やっぱり悔いが残りました。(もう少し痩せておけばよかった…というのもその一つ)幸い、大きなミスなく大舞台を終えることが出来たのには、ほっとしましたが。
3幕目のエンディングを踊り終えて、拍手の中、幕が降り始めたとき、全部の緊張が解けて、どっと体が重くなるのを感じました。
(あぁ…終わったんだなぁ)
8か月、頑張りぬいた幕切れに残ったのは、蓄積された疲労と何とも言えない寂しさでした。
R先生!写真撮ろう!!
R先生は客席で最後まで見てくださり、そのあと楽屋の入り口の戻って、私たちの帰りを待っていてくださいました。
舞台から戻った一団の誰からともなく「R先生!写真撮ろう!!」という声が上がりました。その場にいた、R先生から教えを乞うたことのある人は皆、R先生を囲んで、入れ替わり立ち替わり、カメラとスマホと撮影役を交代しながら、一緒にファインダーに収まったのです。
先生はとても嬉しそうでしたが、どこか寂しそうにも見えました。(なかなか良くならないからかなぁ)と思ったのを覚えています。
そのあとは、退去時間が押していて、メイク落としや片付けなど大急ぎでしなければいけなかったので、先生がいつまでいらしたのか覚えていません。
片付けを終えて、楽屋を出るときに捜しましたが、もうどこにもいらっしゃいませんでした。「もっとゆっくりお話ししたかったなぁ」と思いながら、あきらめきれずに駐車場まで先生の姿を探したあと、帰途につきました。
R先生からメールが届いたのは、次の日のことでした。
私がバレエウェアを作る理由 6 に続きます。