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私がバレエウェアを作る理由 8 あなたとの絆は切りたくないの

2018/10/02
 
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クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

私のサイトへようこそ! バレエウェアコーディネーター、結月ななです。

おいでくださり有難うございます。

前回の私がバレエウェアを作る理由 7では、無料講習での先生の様子、思いがけず先生の指導がうけられたこと、そのあとの年末の舞台でのことをお話しました。

その後、年末の舞台の練習がうまくいかず、ボロボロの踊りをしたことが悲しくて、先生にメールを送ったところ、翌日返信があったというところまでを書きました。

今回は、そこから後の話です。

「痛み止めなしでは日常生活が送れない…」つらい現実

先生からのメールには「バレエは奥が深いものよ。だから、やればやるほど悩みも多くなるけど、自分の体と向き合いながらレッスンあるのみですよ」と書かれていました。

それを見て、ひどく落ち込んでいた気持ちがちょっとだけ上を向いた気がしました。

しかし、そのあとの一文を目にしたとき、先生の置かれている状況がはっきりとわかって、目の前がすっと暗くなりました。

そこには、こう書かれていました。

「強い痛み止めを服用しながら日常生活を送っています。」「じっとしている分には大丈夫ですが、動き回って歩くのがしんどいですね」

もう、痛み止めなしでは日常生活が送れない…。すでに病はそこまで深刻な状況だったのか…と愕然としました。

発表会でお元気な姿を見て安心した夏の日のあと、わずか1年後のことでした。放射線もホルモン療法も、先生の身体からがん細胞を駆逐することはできなかったのです、

おそらく、それまでの治療法が限界を迎えてしまったのでしょうか。ここで何か、効果のある別な薬に切り替えていれば、完治とはいかなくてもここまで酷くならなかったかもしれません。

しかし、何らかの理由で他の治療を選択できなかったか、それとも効果の上がる薬がなかったのか、がんは急激にそして確実に、先生の身体を蹂躙していたのです

言葉を失いました。返信する言葉が何も出てきませんでした。何か返さなければいけないと思っても、そのときはとうとう返信のメールを書くことができませんでした。

「もっと気を配ってやれれば良かった」先生の親心

明けて2017年。

それまで毎年ずっと、先生に新年のあいさつだけは欠かさなかったので、いつものように明けおめメールだけでも…と、つとめて明るい文章を書いて送りました。

体調が悪いことは解っていたので、返事が返ってくることは期待していませんでした。

しかし、思いがけないことに、1日空いて返信があったのです。

最後の一文には「舞台の本番前、あまり、みんなのこと見てやれなくて、申し訳なかった。もっと気を配ってやれればよかったと思いました。」と書かれていました。

「ああ、先生自身辛い状況なのに余計な心配かけちゃったな…」と、あの時送ったメールの内容を後悔しました。

「お顔を見られただけでも嬉しかったです。みんな、先生にお会いできて喜んでいましたよ」と返信しましたが、そのあとの返事は返ってきませんでした。

それからしばらく、どうしていらしゃるかな…と思いながら、辛い状況を知りたくなくて、私からは連絡をしないでいました。正直に言うと、「もし、返事が返ってこなかったら…」と思うと、どうしようもなく怖かったのです。

ななさん、あなたとの絆は切りたくないの

その後、1月が終わって、2月に入ってすぐのことでした。

忘れもしません。それは土曜日の午前中でした。家事で居室から離れている間に、スマホに着信があったのです。

「誰だろう…」と確認をすると、R先生のお名前が!!。2度続けて不在着信になっており、2度目には留守電が入っていました。

「大事な話があるので電話をください」

大事な話ってなんだろう…不安を感じながら、大急ぎでかけなおしました。

電話はすぐつながりました。次の瞬間、私の耳に聞こえてきたのは、息も絶え絶えな先生の声でした。もう、いつこと切れてもおかしくないと感じたほど、弱々しい細い声でした。

肺にたまった水を抜いて昨日退院してきたこと。呼吸が苦しくて動けないほど衰弱していること。

先生の細くかすれる声を聞いているうちに、涙が零れ落ちてきて私は返事ができませんでした。

そんな状態なのに、私に連絡をくれたのは「ななさんとの絆は切りたくないから」という理由だったのです。

傍若無人な生徒、Wへの怒り

先生の話では、一昨年の発表会が終わってから、おせっかいな私以外、誰も連絡をとらなくなっていたようなのです。

先生自身、お休みし始めてから4年が過ぎていましたから、仕方ないという気持ちはあっても、やはり、忘れられていくことは寂しかったのでしょう。(この時は、おせっかいな自分に、ちょっとだけ感謝しました。)

そのうえ、具合が悪くても一番気にかけて、かわいがっていたWという生徒に、年末の舞台の際、まるで手のひらを反したような冷たい態度をとられたこともショックだったようです。

「いつもあいさつに来ていたのに、去年は、顔を見せにも来てくれなかった」と電話の向こうで、泣いているような声でした。

「病院でも会ったのに、無視された…」とも話していました。

このWという人は、利用価値があると思うと媚びを売ってまとわりつくくせに、自分にとって価値がなくなったと思うと簡単に裏切り、切り捨てるようなことを平気でするのを知っていました。でもまさか、これまで一番お世話をかけてきた先生に、後足で砂をかけるようなマネをしていたとは…。

あまりの無神経さと傍若無人ぶりに次の言葉が出ませんでした。

「発表会も年末の舞台も、一人で写真たくさん撮っていたのに、一枚も送ってくれないの…」

Wは、毎年私たちにも同じ事をしていましたが、先生にまでやらかしていたとは!!。

ほんと腹が立ちました。

「先生、ちょっとまってて。他の人で写真持ってる人解るから、電話終わったらすぐに写真送るからね」そう言うと、電話の向こうの声は少し元気をとり戻したようでした。

私が元気になったら、今年の暮れの舞台で会ってたくさん写しましょうね

最初に電話がつながった時は、冗談抜きで、ほんとにこのまま危ないのかも…と焦ったのですが、話しているうちに、だんだん声にも言葉にも力が出てきて、バレエの話に移動したときには元気だった4年前の先生の声に戻っていました。

先生、ほんとにバレエが好きなんだなぁ、踊りたいんだなぁということがビシビシ伝わってきて、胸が痛くなりました。

私の踊りの指導になった時には、「ルルヴェでのバランスはもっと前で立たないと…」「Aちゃん(本部の若い先生)には怒られるだろうけど、履きたかったらトウシューズこっそり買って家で練習してごらん」と仰いました。私が以前、「トウシューズで踊りたい」と言ったことを覚えていてくださったのです。

話しているうちに、もう、いてもたってもいられなくなって「先生、今から顔を見に行っていい?」と聞いたのですが、残念ながら「今、会えるような状態じゃないから…」と、言われてしまいました。まともに食事もできず、ベッドから起き上がれないような状態でしたから、人に見せたくなかったのでしょうね。

一時間も話をされて(この時先生が私に話したことは、あとで章を改めて詳しく書きますが、私がまったく考えてもいなかったことでした。)「またね」と電話を切ったあと、大急ぎでラインを回し、写真をもっているお仲間さんから送ってもらった後、即、先生に転送しました。

写真が届くとすぐ返信があって、先生はとても喜んでくださいました。

「私が元気になったら、今年の暮れの舞台で会ってたくさん写しましょうね」と返事が返ってきました。「約束ですよ!私はバッチり痩せますからね」と返信しました。

ホントに今年も舞台で会いたい!、舞台での踊りを先生に見てもらいたい!、一緒の写真をたくさん撮りたい!!。奇跡が起こってほしいと、この時ほど思ったことはありませんでした。

でも…運命は本当に残酷でした。

私がバレエウェアを作る理由 9 に続きます。

 

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