「市販品のバレエウェアが着られない」そんなあなたの欲しいものはここにあります!

私がバレエウェアを作る理由 10 ななさん、Yを助けてあげて

2019/05/16
 
この記事を書いている人 - WRITER -
クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

私のサイトへようこそ! バレエウェアコーディネーター、結月ななです。

前回の私がバレエウェアを作る理由 9 では、緩和病棟に入院した先生をお見舞いに行ったこと、そこでこの4年間の詳しい話を聞いたことを、そして、そのあと間もなく亡くなられたことまでをお話しました。

先生が亡くなる直前になって、私が考えていた以上に、私との絆を大切に考えてくださっていたことが解りました。

先生がバリバリお元気で、がっつり指導していただけた時期のレッスンをさぼりまくっていた私は、どうしてもっと熱心にバレエに打ち込んでこなかったのかと、物凄く後悔したのです。

今回は、その前後に起きた不思議な話です。

Rさん戻って来てよぉ…Y先生が号泣した

その発端は、先生が亡くなる前に私にくれた2度目の電話でした。

実は、私がバレエウェアを作る理由 8で書いた1度目の電話の後、1週間くらいしてもう一度、先生からお電話をいただいたのです。

「この前より、ちょっとは元気になったでしょ?」

私が電話に出るなり、私の耳に響いたのは、以前と変わらない先生の声でした。一回目の電話の時より体調が少し良くなられたようで、あの今にもこと切れそうな、か細い声ではなくなっていました。少し、ほっとした覚えがあります。

「ねえ、ななさん」

先生は続けました。

「さっき、Yに電話したら泣き出しちゃったんだけど…」

先生の言うYとは、若いY先生のことです。Y先生に話したいことがあって電話したら、電話口で号泣されてしまったというのです。

「その理由がね、『私、もう大人クラスのレッスンできない。自信がない。』っていうの。」

「『Rさん(Y先生はR先生をこう呼んでいました)戻ってきてよぉ』って、ものすごい勢いで泣くのよ」

私は驚きました。大の大人であるY先生が泣くなんて。いったい何があったんだろう。

「理由を聞いたらね…。」

この後の話は、私の堪忍袋の緒をぶっちぎる理由として十分でした。

誰がY先生を泣かせたのか

「先日の舞台のあとね、Y、大人クラスの生徒全員にメールを送ったんだって。ななさんも知ってるよね。」「はい、私のとこにも届いてます。」

確かに、Y先生から舞台の練習時、自分がきつく注意したことについて、謝罪ともとれる内容のメールが届いていました。

でも、今回の舞台が混乱したことは、Y先生のせいではないので、私は全く気にせず、逆に自分の不出来を詫びる旨の返信を返していました。

「そしたらね、その中の一人から『Y先生は私のことが嫌いなんだと思ってた。だから私にきつく当たるんでしょう』って返事が来たんだって。」

「Yね、私に心配かけたくなくて、その人の名前を言わないんだけど、その一言がよくよくショックだったらしいのね。」

「ななさん。誰のことだかわかる?」

考えるまでもなく、一瞬で私にはそれが誰だか分かりました。W、その人でした。なぜ解ったのかという理由は後述しますが、大人クラスの生徒の中で、先生に対してこんな失礼なメーㇽを送るのはW以外には考えられなかったのです。

Wは、Y先生の一番お気に入りの生徒でした。新体操の経験があるとかで、身体が柔らかくて動作を覚えるのが早く、きれいな踊りをするので、レッスン時いつも、見本にされていました。

Y先生が一番目をかけていて、一番気を使って指導していたのもWだったのです。

そんなふうにして面倒を見ていたWだからこそ『Y先生は私のことが嫌いなんだと思ってた。』という一言に、Y先生は傷ついたのでしょう。ことのほか辛かったのでしょう。

R先生のピンチヒッターとして、休む間もなく本部と私たちのレッスンの両方を見てくださっていたY先生にとって、この一言は、はりつめていた心を壊すのに十分な破壊力を持っていたのです。

私はWに対して、今までにない激しい怒りを感じました。

すべての元凶は「W」だった

ここで、Wという人物についてちょっと捕捉します。

Wは、R先生が体調を崩される少し前に行われた、無料講習で入ってきた人でした。その当時、離婚騒動と職場のパワハラで精神を病んでしまったという話で、レッスンにくると、だれかれともなく元夫と上司の悪口を言いふらし、いかに自分が虐げられていて可哀想なのかを吹聴して、同情をかっていました。

しかし、Wの本性は、とんでもなくしたたかで、策略家だったのです。

Wがバレエを始めた当時、「精神を病んだため体調が悪い」と仕事を休んでいたことは、本人の話から知っていました。ただ、休職はその時が初めてなのだと思っていました。

が、実は頻回にわたって、休職→復帰すると体調を崩す→休職の繰り返しで、ここ数年はまともに仕事をしていなかったというのが真相だったのです。そのうえ、仕事には行けなくても遊びに行くのは別物のようで、しょっちゅうバレエの舞台を見に飛び回り、レッスンのたびに自慢げに話していました。

なんだか変だ…私の中でWに対するもやもやが増えていきました。

このもやもやに気づきはじめたとき、Wの話を100%信じたのは間違いだったかも…と気づいたのです。我が家には、数年前重篤に精神を病んだ人がおり、休職の状況をつぶさに見ていたので、仕事にはいけないけれど遊びは平気…というのはありえないことを知っていましたから。

そんなことから、私はWの行動に疑惑を覚えるようになっていきました。すると、それから間もなく真相が解ったのです。実は離婚騒動も、パワハラも、ほぼ全部がWのワガママと思い込みから始まったWのひとりよがりだったのです。すべて、悪いのはWだったのです。

当初、Wの話をうのみにして、その境遇を気の毒に思ったR先生から「かわいそうな人だから気を使ってあげて。面倒見てあげて」といわれていたので、バレエ以外のことでも気を配っていました。「仕事に行かないと、親にあれこれ言われて家に居づらい」というWに、環境のいい仕事を紹介し、プライベートな相談にものっていたのでした。

ところが…

Wは私が紹介した仕事をたった2カ月で辞めて「ろくでもない仕事を紹介されて迷惑した。」と、あちこちで言いふらしたのです。

そのほかにも、根も葉もない尾ひれを付けて、色々な嘘の悪口を流したようで、私はあっという間に悪者になってしまいました。見た目がいかにも弱々しく、か細い声で話すWの様子に、周りの人はまんまと騙されて、私を悪者扱いしたのです。Wは「自分がよければ、人はどうなってもいい」という性格でした。利用価値がある人だと思うと、同情を引くような話をして近づいて、まとわりつき、さんざん面倒をかけて振り回し利用した挙句、必要がなくなった途端に、いかにも自分が被害者に見えるよう画策して、こともなげに切り捨てる人だったのです。

最悪なことに、その事実を知らなかったのは、当事者である私だけでした。

他の若い先生や、周りの人が、どんどん冷たく意地悪になっていくのを、「自分がバレエがへたくそでダメな生徒だから、呆れられてこんな態度をとられるんだ」と、すべての原因が自分にあるものだと思い込んでいたのです。

思い返せば、Y先生との間がこじれたのも、同じ時期でした。

当時、なぜこんなに毎回罵倒されるのか原因が解らなくて、かなり長い間苦しんで悩んでいました。一時はバレエを辞めようと考えるほど、私は追いつめられていたのです。

実はその原因を作ったのもこのWでした。それが判明したのは、発表会の少し前、同じ演目に出る本部の生徒に「Wに意地悪されてこまっている」と相談されたことからでした。詳しい話を聞いたところ、その経過から、私とY先生の間がこじれたのもWの仕業だったとわかったのです。

R先生がお休みをし始めてから、私の周りで起こったすべての悪い出来事の元凶はすべて、Wが発端だったのです。

私だけでなく、一番お世話になっているY先生に対してまで、なんて理不尽なことをするのだろうという怒りが、さらに湧き上がってきました。

ななさん、Yを助けてあげて

「誰のことかわかる…?」という先生の問いに、答えようかどうしようか、ちょっと悩みました。いくら小康状態とはいえ、具合の悪い先生にこれ以上心配をかけたくなかったからです。

でも、今私がちゃんと話さないと、この先ずっと真実が解らないままになってしまいます。本当のことを言おう、そう決心しました。

「先生。それはたぶんWさんだと思う。他の人は絶対にそんなことしないから。彼女以外考えられない。」

「そうか…」

電話の向こうで、R先生が言葉を失うのが解りました。前述しましたが、元気なころは先生自身も彼女をとてもかわいがっていたからです。私はさらに言葉をつづけました。

「先生、言っていい?」「いいよぉ。どうしたの?」

私は、この数年間にWにされたこと、Wの振る舞いをすべて、先生に話しました。紹介した仕事を、難癖をつけてすぐにやめてしまったこと、それがもとで、職場での私の立場がなくなってしまったこと。それなのに、私の知らないところで誤解を生むような行動をし(悪口を言いふらしたり、意地悪としかとれないようなことを平気でしたり)、自分に都合のいいようにうまく話を作り変えていること。彼女の言うことを信じた他の先生方や、本部の大人クラスの人からも冷たく扱われていること。

Y先生に気に入られているのをいいことに、先生の目が届かないところで、大人クラスの先輩方に対して礼儀を外れた行動を繰り返し「私はあんたたちとは違うのよ」と言わんばかりの態度をとって、天狗になっていること。

先生は相槌をうちながら聞いていましたが、一区切りの付いたところで言葉をはさみました。

「そんな人だと思わなかったんだけどねぇ」「ななさん、大変だったねぇ」

先生自身がWの裏切りにあった後だったこともあり、なにも疑うことなく、私の話を信じてくれました。

そしてその後、こう続けたのです。

「ななさん、Yを助けてあげて」「Yはねえ、ほんとに不器用なのよ。結婚もしてないし、その予定もない。彼氏もいないし、バレエ以外何もない人なの」

「でも、すごい頑張り屋で、一生懸命なの。Wさんのことで色々なことがあって、ななさんが大変な目にあったことはよくわかったわ。でも、私がこんなことになってしまって、ずっとY自身が一番大変だったこと、ななさんはよくわかっているでしょう?」

「だから、ななさん、Yを助けてあげてくれる?」

先生の言葉に私は何回もうなづきながら答えました。

「先生、大丈夫。私にできることはするから。安心して。」「ありがとう。」

このとき、R先生に本当のことを話したことは、後になって思いがけない贈り物に変わって、私のもとに還ってくることになるのですが、それはまだちょっと先でした。

とにかく、具合の悪い先生に申し訳なかったけれど、ありのままをお話しできてよかったと、解ってもらえてよかったと、心底ほっとしたのです。

そして、そのことが起きたのは、R先生が亡くなってから3か月が過ぎた夏のある日のことでした。

初めて私とまっすぐに向き合ったY先生

先生が亡くなった後、今まではそういったことは全くなかったのに、思いがけずY先生とゆっくり話す機会が訪れたのです。話題は、自然にR先生のことになりました。

「まだ、亡くなったなんて信じられないのよね。いまでも、Y~って言って出てきそうな気がする」というY先生に「そうですよねぇ」と、笑って答えた後、私はふとあの電話のことを口にしたのです。

「私ね、R先生が亡くなる前に何度か電話をもらったんですよ」「R先生、Y先生のことすごく心配してました」

Y先生の表情がみるみるうちに変わるのが解りました。

「それってどういうこと?」

その時、はじめてY先生は、私の顔をまっすぐに見つめたのです。今までになかったことでした。

何かが確実に変わろうとしていました。

私がバレエウェアを作る理由 11に続きます。

 

※「一番最初から読みたい」と思われた方はここからどうぞ。

私がバレエウェアを作る理由 1 私がバレエウェアを作る理由2 私がバレエウェアを作る理由 3 私がバレエウェアを作る理由 4 私がバレエウェアを作る理由 5 私がバレエウェアを作る理由 6 私がバレエウェアを作る理由 7 私がバレエウェアを作る理由 8 私がバレエウェアを作る理由 9

私がバレエウェアを作る理由 10 ← 今ここです

この記事を書いている人 - WRITER -
クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA