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私がバレエウェアを作る理由 2 暗闇でもがく日々

2018/10/02
 
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クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

私のサイトへようこそ! バレエウェアコーディネーター、結月ななです。

今回は、「私がバレエウェアを作る理由」シリーズ第2回目です。

私がバレエウェアを作る理由 1 では、アラフォーの私がバレエを習い始め、一緒に教室に入ったお仲間さんに何気なく言われた「ななさん、洋裁出来るんだから巻きスカート作ってよ」の一言から、バレエウェアの作成はど素人だというのに、無謀にも巻きスカート作成にチャレンジし始めたことをお話しました。

そして、試行錯誤しながら作り続けているうちにスキルが上がっていき、「これはもう素人のレベルではないから、仕事として作りなさいね」と、先生から認められたところまでを書きました。

頑張ってトライしたことを認めてもらえたことがとても嬉しくて、バレエのレッスンも頑張った結果、洋裁のスキルだけではなくバレエのスキルも少しずつ上がり始めたのです。

辛口の先生からも、時々は褒められるようにもなってきて、さらに熱をいれてレッスンするようになっていました。

ちょっとしたきっかけでこんなにも変わるものかと思うほど、色々なことが順調に流れ出して、もっともっと頑張ろうと気合を入れなおしたときに、事態は急変したのです。

今回はそこからの話になります。

 R先生が倒れた… これがすべての泥沼の始まりだった

突然のひらめき(無謀なチャレンジ(;^_^A)から始まって、紆余曲折しながら、バレエとともに続けてきたバレエウェアの製作でしたが、5年前、とても大きな転機が訪れました。

「好事魔多し」と言いますが、まさに言葉通りでした。ほんの一週間後にこんなことが起こるなんて、誰が思ったでしょう。

それは、大人クラス開始からずっと、私たちおばさん軍団を率いてくださっていたR先生が、突然体調を崩されたことから始まりました。

具合が悪くなられた当初、「大したことはないと思うのだけれど、ちゃんと直したほうがよさそうだから、すこしお休みして、体調が回復したらすぐにレッスン復帰するからね」と、私に直接メールをくださったのです。

それまで、とても多忙な日々を過ごしていましたから、「ちょっと疲れが出たのかな。少し休めばよくなるだろう」と、先生ご自身は思っておられたようでした。

ところが、その後何も連絡がないまま、1週間の予定だったお休みが2週間となり、さらに1カ月が過ぎても、先生は稽古場に現れなかったのです。

そのうえ、こちらからメールを送っても返信が返ってこなくなり、なにが起きているのか全く分からないまま、時間だけが過ぎていきました。

あとでわかったことですが、R先生の体調は、休み始めた途端、よくなるどころか、坂道を転がり落ちるように悪くなっていったのだそうです。

最終的に緊急入院となり、「治療しても、どうなるかわからないくらい重篤な状態だった」と、先生ご本人から真実を聞いたのは、亡くなる少し前のことでした。。

しかし、当時は私たち大人クラスの生徒には、R先生の詳しい状況は何も教えてもらえませんでした。何も知らされないまま、本部の若いY先生が代わりに指導に来てくださるようになりました。

これをきっかけに、私を取り巻くすべてのバレエ環境が一変することになるのです。

この後、大好きなバレエ自体を辞めようとまで考えることになるなんて、この時は思いもしませんでした。慣れないY先生のレッスンに、必死になってついていく日々を過ごしました。

「迷惑だからやめてください」その一言が私の心を深くえぐった。

若く元気なY先生のレッスンになってから、数か月が経ったある日のことです。

挨拶をして、レッスン室に入ったとたん、私の顔を見るなり、怖い顔をしたY先生はきつい口調でこういいました。

「ななさん、あなた大人クラスで巻きスカート作って配ってるってほんと?」

「それ、迷惑だから絶対にやめてください」

「本部で専門に作っている人がいるんだから、欲しいっていわれたらそっちに頼んでといってください」

「自分で着る物作るのは勝手だけれど、それを人に配るようなマネは本部の人が迷惑するから、絶対にやめてください。」

いったい、どう間違って伝わったのか、私は本部の衣装担当の人から「商売がたき」と認識されてしまったようなのです。

要するに、私が今まで、お仲間さんに試作品を着てもらっていたことや、リーズナブルな金額で巻きスカートを作っていたことが、本部の衣装担当の人の仕事を奪うものだというのです。

この仕事で生計を立てている人にとって、とても迷惑なことを私がしているというのです。

確かに、本部には発表会の衣装やレッスンウェアを作る方がいるのを知っていました。しかし、本部に依頼すると、出来上がって手元に届くまでににかなり時間がかかるのと、値段もやや高めということもあって、R先生は習い始めたばかりの私たちに無理に注文を勧めませんでした。

「好きなものを着ていい」と言ったのは、そういった事情も考慮してくださってのことだったのです。

しかし、Y先生はそう言ったR先生の考慮を全く知らないようでした。

Y先生の一方的なきつい言葉と、あまりにもひどく誤認された事実に、どこから弁明していいものか全く見当がつかず、私は反論することもできずに、ただ黙り込むしかありませんでした。

この時の私は、Y先生にとって、バレエが下手な上に規則破りをする厄介者でしかなかったのです。

私の話を何も聞かずに、一方的にまくしたてられたその言葉と、とがめるようなその視線は、私の心を深くえぐりました。とてもとても痛いものでした。

ショック以外の何物でもありませんでした。

ショックでミシンに触ることもできなくなった…

私はそれまで、お仲間さんやR先生が喜ぶ顔を見たくて、ただそれだけで、頑張ってバレエウェアを作ってきました。

それなのに、そのことが、自分が全く意識していないところで、まったく意図していなかった人に迷惑をかけていると言われてしまったのです。

それを聞いた途端、そのほかにも自分が気が付かないところで、まだまだ誰かに悪いことをしているのではないかと思えてしまい、ミシンに触るどころか、ミシンを見ることさえ嫌悪感を覚えて、バレエウェア以外のものも全く制作ができなくなってしまったのです。

あまりにも辛い出来事だったので、簡単に気持ちを立て直すことが出来ず、この状況はその後しばらく続きました。

大好きなバレエを辞めることさえ考えた時期

そのうえ、なぜなのかはわかりませんが、それから先のY先生の私への指導は、はたから見ている人にも「意地悪」ととれるようなものへと変わっていきました。(この理由は、かなりあとになって意外なところから判明することになります)

些細なミスをつるし上げて罵倒されるので、失敗しないようにと、意識すればするほど余計に体は固く動かせなくなり、さらに輪をかけてきつい言葉を浴びせられることが続きました。

正直この時期は、本気でバレエそのものを辞めようかと思い詰めたほど、辛い日々が続きました。

翌年に大きな発表会を控えていたので、その振付も始まり、熱を入れてレッスンしなければいけない時期に来ているのに、気持ちは下がるばかりでした。

R先生の詳しい状況もわからないまま、私はいつ明けるのかわからない暗闇の中に突き落とされたような気がしていました。

しかし、これはまだ最悪の序の口だったのです。

私がバレエウェアを作る理由 3 に続きます。

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クラシックバレエとソーイングが大好きなアラフィーです。夏の暑さにも負けず、冬の寒さにも負けず、先生のお小言にもめげず、レッスンとウェア制作に励んでおります。座右の銘は「一生現役」。得意なパはピケターン。キトリのカスタネットのソロを踊るのが目標。

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