私がバレエウェアを作る理由 7 最後のダメ出し
前回の、私がバレエウェアを作る理由 6では、発表会のあとの年末の舞台でR先生と再会したこと、その時はだいぶ良くなられていたように思ったことをお話しました。
しかし、さらに半年後の無料講習で、思いがけなくR先生と再会した時に、去年の暮れにお会いしたときより具合が悪くなられている様子に、とてもショックを受けた…というところまでを書きました。
今回はそこからの話です。
先生の身体に何が起こっていたのか
暮れの舞台から半年もたっていないのに、いったい何があったのだろう…
先生の姿のあまりにも激しい変わりように、私は平静を保つのがやっとでした。
その時の状態は、立っているのも、椅子に座っているのも辛い様子でした。このとき先生の身体に何が起こっていたのか、私が詳しくそれを知るのは、もう少し先のことになります。
この時はまだ、本当の状況が先生の口から語られることがありませんでしたから。
治療がうまくいっていないのか、それとも副作用で体力が落ちているだけなのか、さすがに聞くことがはばかられましたが、状況が悪くなっていることだけは、間違いありませんでした。
しかし、レッスンが始まると、みるみる元気を取り戻されて、「タンデュは足の裏全体を使って。つま先しっかり伸ばして」「パッセは脚をもっと高く上げて」「体重は軸足にしっかりのせるのよ」「右肩上ってるよ。下げて」など、以前のように細やかな注意が次々とんできました。
普段なら注意されると(注意の程度にもよりますが)ちょっとへこんでしまうのですが、今日はR先生の声が嬉しくて、注意をされるたびに「よし!」と気合が入りました。先生自身も、久しぶりの指導がとても嬉しそうでした。
やっぱり、R先生がいる稽古場は空気がちがいます。私の大好きな、R先生のクラスの空気を、久しぶりに感じることが出来て、とても嬉しかったです。
最後になったR先生のレッスン
この日のレッスン時間の1時間半は、文字通りあっという間に過ぎました。
名残惜しかったのですが、無料講習の受講生が来場し始めたので、あいさつもそこそこに退出するしかありませんでした。着替えを終えて、レッスン室を出ようとして、ふと振り向くと、先生がニコニコと笑顔を浮かべて手を振ってくださいました。私も笑顔で会釈をしました。
この時の、嬉しそうに楽しそうに指導する先生の様子を見ていると、まだ、私は先生復帰の望みを捨てられませんでした。先生も、なんとか回復への道が開かれることを信じていたと思います。
しかし、私が先生の指導を受けられたのは、これが最後になってしまいました。
この後の私たちのレッスンにも、無料講習の時間にも、先生がお見えになることはなかったのです。もう2度と、レッスンウェアを着て、稽古場に立たれる先生の姿にお会いすることはできなかったのです。
みんなに会えるのを楽しみに体調を整えています
それからさらに半年。恒例の年末の舞台まで、あと3日余りとなった時でした。
先生から久しぶりにメールがあり「みんなに会えるのを楽しみに体調を整えています」と書かれていました。
講習会以来、半年ぶりのメールでした。
メールの文面からは、お元気そうな様子がうかがえたので、「講習会の時の具合の悪さは、治療の副作用だったんだ。あれから良くなられたんだ」と、とても嬉しくなりました。お元気になられた姿に会えるのがとても楽しみでした。
しかし、舞台の演目の練習経過は最悪だったのです。
まとまらない振付に、下がり続ける気持ち
その年の舞台は、ここ数年来で一番難しい演目で、振付がなかなかまとまらない状態でした。
特に子供たちの場面に時間が掛かり、最後の最後まで大先生からダメ出しが出ていました。そのため、私たち大人初心者クラスの練習時間が大幅に削られてしまいました。
特に、初舞台の仲間が数人いたにもかかわらず、大事な舞台稽古をサラッと流されてしまい、前日のリハーサルも同様でした。本当なら、しっかり時間をとっての場当たりをしないと、混乱することは目に見えていたうえ、本番直前での振付変更もあったため、不安だらけで本番を迎えることになったのです。
そんな中でしたから、先生からのメールは、不安だらけの心にちょっぴり明かりを灯してくれたのでした。
愕然…先生の姿に声を失った
そして、舞台本番当日のことです。
「先生に会える!」と、わくわくしながら楽屋入りして、メイク室にいる先生にあいさつに行った私は、一目先生のお顔を見た瞬間、愕然としました。
その姿は、闘病の厳しさを物語っていました。無料講習でお会いした時より更にお痩せになっていて、頬はこけ、顔色は黒ずみ、目の下には、はっきりクマが出来ていました。
どう贔屓目に見ても、夏前よりさらに具合が悪くなっていることは明らかでした。治療が思うように進んでいないという理由だけではなさそうでした。
それでも、声だけはとてもお元気で、久しぶりにお会いしたお仲間さんと楽し気にお話ししながら、てきぱきとメイクを手伝っておられました。が、私は、何て声をかけたらよいのか、言葉が見つからず、ドアを開けたまま立ちつくしていました。
すると、先生は、鏡に映る私の姿を見つけて、私の方を振り向くとにっこりと微笑まれました。
「ななさん、久しぶり」と声をかけてくれ、変わらない声で、あったかい手で私の手を取ってくれました。
最後のダメ出し「パディシャはね、アンオーに挙げた手を見ながら跳ぶのよ」
先生の第一声は「どうお?大分大変だって聞いてるけど。」でした。
大人クラスの振付が、うまく進んでいないことを、すでに他のお仲間さんからの連絡でご存知だったのです。なので、特に出来の悪い私のことは、なおさら気になっていたようです。
メイクの手を休めて、一番メインの部分の踊りを事細かにアドバイスしてくださいました。
「パディシャはね、アンオーに上げた手を見ながら跳ぶのよ」
最初は言葉とジェスチャーだけだったのですが、突然に
「そうだ!ちょっとここで跳んでごらん」
と仰りました。
本番直前のごった返すメイク室の中でしたが、私は先生の前で、必死でパディシャを跳びました。何度かのダメ出しの後、よしっ!と言うようににこっと微笑まれて、「頑張れ!!」と背中を押してくださいました。
これが、私が先生から直接受けた、文字通り最後の指導になりました。
最後のダメ出し、それが「パディシャはね、アンオーに挙げた手を見ながら跳ぶのよ」でした。
今も、レッスンでこのパを踊るたび、その瞬間の先生の言葉を思い出します。
もう、踊りたくない…今までで最低の出来だった舞台
しかし…
せっかく先生がお見えになってくれたのに、直接ご指導もいただいたのに、舞台練習が満足にできなかったから始まっていた、私の気持ちの盛り下がりは回復できませんでした。
こんなことは初めてでした。
いい舞台にしたくて、いい踊りを見せたくて、ずっと頑張って練習してきたのに、本番直前になって、こんなに熱が入らない、気持ちが盛り上がらないなんて。自分でも信じられないほどでした。
しかし、どんなに気持ちが乗らなくても、今さら踊らないわけにはいかないのだから、なんとか切り替えようとしました。が、一度落ちてしまったテンションはいかんともしがたく、ここ5年間の舞台で最低最悪の出来でした。
踊り始め、出だしの見せ場だったアラベスクはルルヴェが保てず、練習で一回も失敗したことのなかった見せ場のステップは、ジャンプのタイミングを誤り、見事に音を外しました。
ボロボロでした。
思い出したくもないくらいメタメタの踊りでした。
どんなに頑張って練習を積んでも、気持ちがしっかり伴わないと、踊りはここまで際限なくめちゃくちゃになるものだと、自分でも驚くほどひどかったのです。
笑顔で「またね!」 でも…
先生に、いい踊りが見せられなかった…。
そのことがなにより辛くて、エンディングの幕が下りた瞬間、泣きたくなるのをこらえました。正直、2度と舞台に上がりたくない…そこまで思いました。
この日、先生はかなり長く楽屋に居られました。メイク室からわざわざ、私たちの控室を覗きに来てくださって、そのたびに声をかけてくださいました。何度も何度も。
「練習が思うようでない」とご存知だったので、ことさら気にかけてくださったのでしょう。先生ご自身の体調は、かなりよくない状態だったはずなのに…。
今思い返しても感謝の思いでいっぱいになります。
お帰りになられる時も、わざわざ挨拶にいらして「またね!」と、笑顔で手を振ってくださいました。
「ありがとうございました」とお礼を言いながら、次に会う時には、新しい治療が効いて、少しでもお元気になられているといいなぁと思いながら、その後姿を見送りました。
しかし、これが、自力で歩いている先生の姿を見た、最後の瞬間になってしまったのです。
バレエは奥が深く、悩みも多いものです。自分の体と向き合いながらレッスンあるのみですよ
「今回は、最低の踊りで、悔しかったです。」
そんな気持ちをメールに書いて、R先生に送ったのは、その日の夜、遅い時間でした。
翌日早く、先生から返信がありました。ここのところ、返信に時間がかかっていたので、ちょっと違和感を覚えましたが、私が落ち込んでいると心配してくださったのかなと思いながら、メールを開封して読み始めました。
「昨日はお疲れさまでした。」「バレエは奥が深く、悩みも多いものです。そしてそれだけ魅力的なものです。」「自分の体を見つめて、自分の体と向き合いながらレッスンあるのみですよ」と書かれていました。
先生の一言一言は、落ち込んだ気持ちを溶かすように、じわじわと染み込んでいきました。
ところが…
次の一文を目にした瞬間、すっと目の前が暗くなったのです。
私がバレエウェアを作る理由 8 に続きます。
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