今だから言える話 バレエ辞めようと思ったこと
ご無沙汰しておりました。久しぶりの投稿です。想定外のコロナウイルスの流行で、2月末から公私ともバタバタしており、ブログを書く余裕が全くなくなってしまって。
バレエのレッスンも、感染拡大を警戒した教室が、3月初めからずっとお休み(´;ω;`)ウゥゥ。3か月が過ぎた今月に入って、やっと一部のクラスが再開になりました。
長かったーーーーヾ(≧▽≦)ノ
ほんとに、ほんとに、首を長ーーーくして、レッスンできる日を待っていました。
私がバレエを始めてから10数年、こんなに長期間休んだのは後にも先にも初めてでしたから。(途中怪我も入院手術もありましたが、ここまで長くなかった…)
これまで考えたことがなかったけれど、何の制約もなく思いっきりレッスンに集中できる平凡な日常が、なんとありがたいものだったのかと痛感させられて、バレエが出来ることが嬉しくて涙が出るような思いでした。
しかし…
「踊れる!」と喜んだのもつかの間。レッスンが始まって即座に思ったのは「(体が)動かない!!動けない!!!」。
お休み中、何もしていなかったわけではありません。(ええ!決して!!!(苦笑))。多少なりとも、ストレッチやバーレッスンもどきは続けていましたし、仕事も(お休みにはならなかった)デスクワークではないので、毎日ずっと動いていましたから。
ところが…
アンオー・ルルヴェでのバランスは静止できないし、ピルエットは一回転がやっとで、しかもやたらとぐらつく。
バーがこんな状況ですから、センターは推して知るべし。グランジュテは「フロアとお友達」ってかくらい、まったく跳べないし、パドゥシャは身体が持ち上がらない。かろうじて大丈夫だったのは得意のピケターンだけ(´;ω;`)ウゥゥ
ショックでした。
正直、ここまで身体か動かなくなってるなんて想像してなかった!!!。悔しいーーーー。
でも、落ち込んでなんかいられない。いいチャンスと考えて気持ちを切り替え、初心に帰って、一回一回のレッスンをしっかりやろう。そして、動ける身体に作り直そう!。ここで終わりにするつもりはないから。私、バレエが好きだから!!!
あーーー私強くなったなぁ。やる気満々じゃん!!
なーんて考えたら、今から約8年前のことを思い出しました。初舞台が決まるちょっと前のことです。
この時、私は本気でバレエを辞めようとしていました。今日はそのことを書こうと思います。
「大人バレエ」が始まった瞬間
このブログの最初の部分で書いているので繰り返しになるのですが、私が大人バレエに出会ったのは、今から14年前の10月。公共団体主催の無料講習会です。
地元の広報紙の広告で見つけるなり、即座に申し込みの電話をかけていました。「電話の大嫌いな私が!!」です。クラシックバレエは、私が幼いころからずっとあこがれ続け、しかし習うことがかなわなかったものだったからです。
私と同じ思いを持っている人が多かったのでしょうか。その講習会は、20人募集枠のところに、なんと30人以上の応募があったそうです。それだけバレエに憧れる人は多いのでしょうね。
そのため、想像以上のキャパオーバーに慌てた公共団体側は、抽選で人数を絞ろうとしました。
ところが、ここで思いがけないことが起きました。主催者が「せっかく応募してくれたのだから全員に受けてもらいたい」と申し出てくれ、全員が受講できることになったのです。
このとき、抽選が行われていたら、今の私はなかったかもしれません。そう考えると、あきらめの悪かった私に、バレエの神様がチャンスをくれたのかなと感謝の気持ちでいっぱいになります。
興味とあこがれだけでは続かないのが「大人バレエ」
こうして、当初の予定より10人以上多い人数で、講習が始まりました。
一番最初は、フロア一杯に人がいて、まるでイモ洗い状態。休憩する場所もないくらいでした。しかし、講習がの回数が進むにつれて、その難しさに挫折する人が続出。1人、また1人と参加人数が減っていき、最後までやり切ったのは、約半分の15人余りでした。
興味本位だけ、憧れだけでは続かないのが大人のクラシックバレエ…その事実を突きつけられたような気がしました。
私自身も、自分の身体の動きの悪さには辟易していました。でも、「この講習だけで終わってしまうのは嫌だなぁ…。」という気持ちが、私のどこかにあったのです。
最終日のレッスンのあと、講師の先生が全員を集め「このまま有料で継続できるけど、どうしますか?」と話されました。
(どうしよう…)と思いました。続けたい気持ちもあったけれど、大人から始めるバレエのハードルの高さを一通り味わった後だったので、即答即決できなかったのです。
その時でした。
講師の先生の一人が、私が悩んでいる様子に気付き、私を呼びました。そして、私の気持ちをじっくり聞いてくださり、最後に一言おっしゃいました。先生がかけてくださったそのひとことに背中を押されて、私は継続を決めたのです。
私のほかに、このまま続けるといった講習生はほかに3人。毎週土曜日、夜7時からの新しい大人クラスの始まりでした。
ところが、本格的にレッスンが始まってみると、担当の先生と衝突した1人がすぐに辞め、3人になりました。しかも残った3人ものうち1人は、多忙のため続けて出席できず、めったに全員そろってのレッスンにはならなかったのです。
そんなこんなで半年が過ぎた頃…
新しい大人クラスの出席率が悪いということで、もう一つの夕方のクラスとまとめられることになりました。夜7時からの一コマに変更になったのです。
その時、改めて担当になったのが、このブログのあちこちに出てくる「R先生」でした。
R先生はご自身が大人になってからバレエを始め、指導ができるまでになったという努力と情熱の人、バレエを本当に愛していた方でした。
身体に無理をさせない踊り方を熱心に教えてくださる先生でした。
「舞台」という目標がない状況で、レッスンのみを続けていた7年半
新しくまとめられた大人クラスの生徒のほとんどは、その当時の教室にあった「子供が習っていると、その保護者は無料でレッスンを受けることが出来る」という「特典」を利用してレッスンを受けていました。そのため、自分がバレエのレッスンをするのは、あくまでも子供の余禄で、単純に体を動かす機会をもらったとしか考えていなかったのです。
ですから、先生から「発表会や文化祭(舞台)に出てみない?」という話を持ちかけても、即「私は健康のためにやってるから」と、冷たい一言でにべもなく断っていました。しかし、先生ご自身が現役の主婦であり母であったことで、大人の身体の実態や家庭の事情があることをよく理解しておられたので、それ以上無理強いはされなかったのです。
そういった理由から、当時の大人クラスはスポーツジムのバレエクラスのレッスンのようでした。毎回ただただ、面白おかしく簡単なアンシュヌマンを繰り返すだけ。
上達を実感することもなく、何の刺激のかけらもない日々でした。(時がたってみて、ホントもったいない時間を過ごしてしまったな…と、とても悔やまれてならないのですが。)
結局、その状況はこの後、7年半続くことになるのです。まさに、どぶに捨てた7年半でした。
私の本当の本音
ここからは、今まで誰にも言わなかった私の本音を書きます。
「舞台に出ない」という選択、これは私の本意ではありませんでした。
しかし、周りの先輩たちがやらないと断っていることを、入ったばかりの私が「やりたいです!」とはいうほど勇気はありませんでした。
それにしても、何年習っても舞台に立とうとはせず、レッスンにさえまともに来ない生徒を、先生はさぞや良く思ってはいなかっただろうと想像に難くありませんが、そんなことは一度もおくびにも出さず、根気よく丁寧な指導をしてくださっていたこと、今も感謝以外何物もありません。
転機は突然、8年目にやってきた
そんなこんなで、のらくら続けていた私に転機が訪れたのは今から8年半前、3回目の無料講習が開かれたときでした。
講習が終わった後、「そのまま有料のクラスに移行してレッスンを継続すると希望」する人が、10人近く残るという信じられないことが起きたのです。(私の時で4人。その次も3人でした)
しかも、元バレエ経験者や新体操の経験者で、デキる人ばかり!!
そんな新しい才能に溢れた生徒を目の当たりにして、それまでの間、私のように意欲もなく物覚えの悪い生徒ばかりを教えていた先生が、狂喜乱舞したことは言うまでもありません。
私も、新しいお仲間さんが出来て、心機一転頑張ろう…となったところまではよかったのですが…
好事魔多しとはよく言ったものです。
講習会終了後まもなく、私は仕事中に膝の靱帯を損傷する大けがをしてしまったのです。
心配されるのが嫌で詳しい内容は話しませんでしたが、実はかなりの重症で、なかなか回復しませんでした。靱帯の緩んだ膝は、痛みと腫れがあるばかりでなく、がくがくと不安定でルルヴェで立つことすら出来なくなっていたのです。
何時よくなるのか見通しがつかず、暗い気持ちを抱えながら2か月ほど休んだ時のことでした。突然、古株の仲良しのお仲間さんから連絡があったのです。
その内容は衝撃的なものでした
私が休んでいる間に古株の生徒はほとんど来なくなり、新しいできる人ばかりになったため、レッスンのレベルが高度になり、ついていけなくなったこと。
そのうえ、できない生徒は先生に相手にされなくなってしまったこと。
だから、先月いっぱいで辞めたこと。
これを聞いて、私も決断しました。
「私も辞める。」
いくら憧れのバレエとはいえ、これまで一緒にレッスンしてきた仲間が誰もいなくなった上、周りは経験者ばかり。
怪我の完治の見込みも立たず、年数だけで上手くもなくて、目標もなかったその時の私にとって、このまま無理をして教室に残るという選択肢はありませんでした。
それから数日後…
まだ腫れも痛みも残る脚を何とかサポーターで固定し、痛み止めを飲んで、お休みしていた2か月分の月謝をもって稽古場に顔を出したのは、2012年8月末のことでした。
このレッスンを最後に、「今月いっぱいで辞めます」という決意を伝えるために。
ところが…
ドアを開けて挨拶をし、稽古場に一歩踏み入れたとき、私の顔を見るなり先生は…
長くなったので、次回に続きます。